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長崎地方裁判所 昭和48年(ワ)313号 判決 1980年10月17日

原告

草野光善

被告

三菱重工業株式会社

右代表者代表取締役

守屋学治

右訴訟代理人弁護士

古賀野茂見

木村憲正

主文

一  原吉の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当時者の求める裁判

一  請求の趣旨

1  被告が昭和四八年八月四日付で原告に対してなした同月六日から同月八日までの出勤停止三日間の懲戒処分の無効を確認する。

2  被告は、原告に対し、金一一万二、二三七円及びこれに対する昭和四八年一〇月六日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

3  被告は、原告に対し、別紙目録記載の陳謝文を交付すると共に、右陳謝文を被告長崎造船所内の被告所有の全掲示板に一週間にわたって掲示せよ。

4  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨。

第二当事者の主張

一  請求の原因

1  原告は、被告長崎造船所(以下「長崎造船所」という)に勤務する従業員であり、三菱重工長崎造船労働組合(以下「長船労組」という)の組合員であり、同組合の執行委員である。

2  被告は、昭和四八年八月四日原告に対し、原告が、昭和四七年六月一六日、長崎造船所第一工作部第二機械課(以下「第二機械課」という)第二係の作業長福田博に対し、組合用務でも時間中の電話を取り次げと脅迫、強要し、福田作業長を蹴る突くの暴行を加えて全治五日間の負傷をさせ、また休憩時間中の昼食を妨害したことを理由に同月六日から同月八日までの出勤停止三日間の懲戒処分(以下「本件懲戒処分」という)をなし、同月六日から数日間右懲戒処分の結果を長崎造船所構内の被告所有の全掲示板に掲示して従業員に周知させる措置を取り、同年九月二〇日支払いの賃金において右出勤停止期間中の賃金一万二、二三七円を支払わなかった。

3  しかし、本件懲戒処分は、長崎造船所懲戒委員会の運営慣行に違反し、原告が福田作業長に対し暴行脅迫を加えた事実がないのに誤って右事実を認定して行ったものであり、かつ長年の間戦闘的労働組合の指導者として奮闘してきた原告に対する不当労働行為であるから、違法無効である。

4  原告は、被告の違法な本件懲戒処分により著しく名誉を毀損され、多大の精神的打撃を受けたので、これを慰謝するには金一〇万円が相当である。

よって、原告は、被告に対し、請求の趣旨記載の判決を求める。

二  請求の原因に対する認否

請求の原因1、2の各事実は認めるが、同3、4は争う。

三  被告の主張

1  原告が、福田作業長に対し、暴行傷害行為に及んだ経過は次のとおりである。

(一) 福田作業長は昭和四七年五月初めから六月にかけて、長船労組の組合員から就業時間中に第二機械課所属の長船労組員にかかってきた電話を組合用務ということで右長船労組員に取り次ぐように要請されたことが数回あった。しかし、福田作業長は、就業時間中の組合活動は禁じられているとの理解から、右時間中の従業員に対する業務外の電話取り次ぎについては、緊急やむを得ない事柄は別として、単に組合用務ということでは取り次ぐわけにはいかないとして、右要請を断わっていた。

(二) 六月一五日(以下月日だけを記載する場合は昭和四七年中のこととする)午前一一時一〇分ころにも、長崎造船所第一工作部第一機械課(以下「第一機械課」という)所属の長船労組員野田英彦から福田作業長を指名して電話があり、組合用務ということで第二機械課所属の長船労組員黒田徳一郎を呼んでもらいたいとの要請があったが、福田作業長は右要請を断わった。

ところで、福田作業長が長船労組員の電話取り次ぎを断わったことを問題視した長船労組は、同日福田作業長に対する抗議行動を行った。すなわち同日午後零時一二、三分ころ、長崎造船所構内にある第一食堂から昼食を済ませて出て来た福田作業長は、食堂の出口で黒田、野田ら四名の長船労組員に取り囲まれ、前記電話取り次ぎを断わったことに対する抗議を受けた。その後福田作業長は右四名の長船労組員とともに安全保安課の会議室へ行き、そこで約一〇分間荒々しい言葉遣いで詰問する右四名に応答していたが、最後に黒田が福田作業長に対し「電話の取り次ぎをしない場合は組合活動の妨害とみなして対処する」と脅迫的言辞を弄した。

(三) 六月一六日午前一〇時ころ、福田作業長が第二機械課第二係の作業長ボックスにいたところ、第一機械課所属の長船労組員高比良宏から電話があり、組合関係の要件で黒田に取り次ぎを要請したので、福田作業長は高比良に対し組合関係の用務は時間外にするように述べた。折から福田作業長の傍に来ていた黒田が受話器を乱暴に取って高比良と通話を始め、これが終わると、福田作業長に対し「なぜ電話の取り次ぎをしないのか。組合活動を妨害するのか」と激しく詰問した。これに対し福田作業長は、かねて説明していたとおり、組合関係のことは時間外にするように、急用の場合は取り次ぐ旨述べたが、黒田はなおも前記詰問を繰り返した。

(四) 同日午後零時五分ころ、福田作業長は第一食堂で昼食を取っていたところ、原告を含む長船労組員約八名が食堂内に来て、携帯マイクを所持した黒田が「只今から第二機械課第二係の福田作業長に抗議する。福田作業長は我々の電話を取り次いでくれないからである」と放送し、福田作業長を取り囲み、まず久保田達郎が、福田作業長に対し「我々は執行部として抗議に来たのだ。どうして電話の取り次ぎをしないのか」と詰問して詰め寄った。さらに松尾敏之が福田作業長の右横に来て、同人の湯呑み、弁当箱を引き寄せ、同人の食事を妨害した。

(五) そのころ、原告は、福田作業長の左側に立っており、久保田と携帯マイクを交互に使って「一分間待ってやるから答えろ。今後取り次ぐとか取り次がんとか」などと電話の取り次ぎを強要し、さらに「造船所の中でお前一人取り次がんじゃっか。一機でもどこでも取り次ぎよっとぞ。お前がなして一人が取り次がんとか。会社が取り次ぐなと言うたとなら、自分たちは所長に対して抗議するんだ。たかが末端の作業長のごたる平にいっちょいっちょうてあうもんか。のぼすんな」などとかなり憤樫した発言をしたのち、突然右足膝あたりで福田作業長の左膝附近を蹴った。そこで福田作業長が左側を見て蹴ったのが原告であることを確認し、かつ「蹴ったのはあんただろう」と言うと原告は「おう」と返事をした。長船労組員の福田作業長に対する抗議行動が始まったころ、第二機械課第二係の作業長であった樫川勝美も、福田作業長の右後ろ近くに来ていた。

(六) 福田作業長は、原告から蹴られた直後、その痛みもあり立ち上がって食堂から出ようとしたが、長船労組員に取り囲まれあるいは押し戻されて出ることができず、久保田らは携帯マイクを使っての激しい攻撃を続けた。そのころ三菱重工労働組合長崎造船支部(以下「長船支部」という)の職場委員岡田明長が来て「この馬鹿どもにうて合うな」と大声で怒鳴ったので、原告が「そいつを打ったたけ」と言い、長船労組員二、三名が岡田の方へ押しかけた。そこで福田作業長を取り囲んでいた長船労組員の人数が少なくなったので、樫川が福田作業長の肩をその後ろから抱くようにして長船労組員の囲みの外へ出そうとしたが、これも阻止された。

(七) その後福田作業長がようやく外に逃れようとして少し踏み出したとき、原告が「まだ話が済んどらんじゃっか」と言いながら右手で福田作業長の左胸附近を突いた。そのため福田作業長は後ろに倒れそうになったが、後ろにいた樫川に支えられ、辛うじて倒れずにすんだ。同日午後零時五〇分ころになって、原告を含む長船労組員らは、福田作業長に対する抗議行動を止めて引き揚げた。

(八) 福田作業長は、同日午後四時ころ三菱病院において井上正良医師の治療を受けたところ、全治五日を要する左大腿及び下腿部打撲症と診断され、その後同月一九日、同月二二日と通院治療にあたった。

以上のとおり、原告が昭和四八年六月一六日福田作業長に対し暴行を加えて受傷せしめたことは明らかであり、これは長崎造船所就業規則六五条一項六号に定める「他人に暴行脅迫を加え」たときにあたるので、同条一項但書を適用して原告に対し本件懲戒処分をしたのは何ら違法ではない。

2  被告が、原告に対し本件懲戒処分をなした手続は次のとおりである。

(一) 長船労組と被告との間には労働協約が締結されておらず、懲戒手続に関する取り決めも存在していなかったが、前記暴行傷害行為を契機として昭和四八年一月末ころ、長崎造船所と長船労組とは、長崎造船所と長船支部とで取り決めた懲戒委員会規定を委員の定数に関する条項を除いて準用することで合意に達した。

(二) 長崎造船所は、右合意に基づき、昭和四八年二月懲戒委員会を開催し、原告を出勤停止三日間の処分に付する懲戒案を提示したが、原告の前記暴行傷害行為の存否をめぐり、これを否定する長船労組側委員四名とこれを肯定する被告側委員四名の意見が真向から対立した。その後懲戒委員会は同年五月まで五回にわたって開催されたが、いずれも意見が対立したまま審議は平行線をたどったため、同委員会の加藤光一委員長は、懲戒委員会規定により、その審議結果を長崎造船所所長に答申した。

(三) 右答申の内容は、本件懲戒に対する長船労組側委員の反対意見と被告側委員の賛成意見とが一致せず、平行線のまま終始したため、本件懲戒を原案どおり実施することについての決済を求めるというものであった。右答申を受けた長崎造船所所長は答申どおり決済したため、被告は、昭和四八年八月四日原告及び長船労組に対し、原告を出勤停止三日間の懲戒処分に付し、同月六日から同月八日までの三日間これを実施する旨通告したうえで、これを執行した。

以上のとおり本件懲戒処分は、長崎造船所と長船労組との合意に基づく懲戒手続を経てなしたものであるから、この点についても違法はない。

四  被告の主張に対する認否及び反論

1  被告の主張はすべて争う。

2  就業時間中の電話取り次ぎについて

スト指令等の伝達など必要な組合用務による就業時間中の構内電話の取り次ぎは、長崎造船所における長年の慣行で、全職場にわたって行われていた。第二機械課第二係所属の作業長においても、福田作業長を除いては、すべて取り次ぎを行い、福田作業長だけが、これを妨害してきたのであり、福田作業長に対する原告ら長船労組員の抗議行動は正当なものであった。それゆえ、昭和四七年七月七日には組合用務であっても急用であれば電話の取り次ぎをする、被告の三組合間に差別扱いはしないとの被告の態度が表明され、事態の落着をみるに至った。

3  就業規則所定の懲戒事由不存在について

原告は、福田作業長に対し、脅迫、強要を加えたことも、昼食を妨害したこともない。さらに福田作業長の胸を突いたことも、左足を蹴って傷害を負わせたこともない。原告が右暴行を加えたとする福田作業長及び樫川勝美の各供述は、次の点において到底信用できるものではなく、事実を捏造して供述しているものである。

(一) 暴行時の位置について

福田作業長が警察の取調べにおいて作成した位置図、樫川が警察の取調べ及び長崎地方労働委員会における審問の際作成した位置図、被告の懲戒委員会において被告側委員により示された位置図は、いずれも共通性がなく、原告及び長船労組員の位置が真実と異なって記載されている。また福田作業長が作成した位置図では、原告は同人を蹴ることができない位置にあり、樫川も同人が供述しているような位置にいない。

(二) 原告が福田作業長に対し暴行を加えた態様、部位について

福田作業長及び樫川は、警察の取調べ、及び長崎地方労働委員会の審問において、いずれも原告が右膝で福田作業長の左足の膝の上附近あるいは左もも附近を蹴った旨供述しており、懲戒委員会においても被告側委員から右同様の主張がなされた。

しかし、福田作業長を診察した医師である井上正良の証言及び同人が作成したカルテによって、福田作業長が暴行を受けたという昭和四七年六月一六日に同人が痛みを訴えてきたのは左下腿部の左外側部で右部分に治療を加えたこと、同人が左膝上に痛みを訴えたのは同月一九日になってからであることが明らかになり、福田作業長らの前記各供述が虚偽であることが判明した。

そこで、福田作業長は、当法廷の証言において、従前からの供述を一変し、原告の膝とすねで、左膝附近あるいは左膝の外側、膝を中心にして上下二カ所を蹴られ、同月一六日に治療を受けたのは左膝外側の下の方と証言するに至った。一方樫川は、当法廷においてもなお原告の蹴り上げた膝が同人のももをかすめ、目の前にモクと上がってきたと証言している。

しかし、右のような足の使い方で前記のとおり左下腿部の左外側部と左膝上の二カ所に同時に打撲症を与えることは到底不可能である。

(三) 原告が暴行を加えた状況、時間について

福田作業長は、警察での取調べにおいて、原告が暴行を加えた時刻を午後零時二〇分ころとし、そのときの状況について長船労組の久保田委員長が抗議を開始し、福田作業長の右横にいた松尾敏之が福田作業長の食器を右に二回目に引いたそのころ、原告が一回蹴り、それから福田作業長が立ち上がった旨供述し、樫川も警察での取調べにおいて福田作業長と松尾との食器のやり取りがあったときに原告が蹴ったとし、その時刻は午後零時三〇分前後と供述しているが、福田作業長と松尾が食器のやり取りを行い、福田作業長が立ち上がったのは、福田作業長に抗議を始めた午後零時一〇分ころから、二、三分後の極めて早い時間のことで、そのころ樫川は原告らが抗議をしていた場所に来ていなかった。福田作業長及び樫川が原告が暴行を加えたという時間を前記のとおり遅く供述しているのは、樫川が目撃していたという辻褄を合わせるためであって、到底信用できるものではない。さらに樫川は原告が福田作業長に対し、「たかが末端の作業長ごたる平にいっちょいっちょうてあうもんか。のぼすんな」というようなことを言って蹴ったと供述するが、福田作業長によれば、原告の右発言内容は、原告が蹴ったときに言ったものではなく、その後椅子から立ち上がり通路に出た福田作業長に対し言ったものであるとされている。

(四) 福田作業長が椅子から立ち上がったときの状況について

福田作業長は、警察の取調べ及び長崎地方労働委員会の審問において、一貫して原告から蹴られたのを機会に椅子から立ち上がったと供述している。しかし樫川は、福田作業長の右供述を否定して、同人は原告から蹴られたのちも椅子にすわっており、その後長船支部の職場委員であった岡田明長が来て、福田作業長を取り囲む長船労組員の体制が乱れたときに同人が立ち上がった旨証言している。

(五) 福田作業長に抗議をした長船労組員の人数について

福田作業長及び樫川は抗議をした長船労組員の人数について五、六名から一五、六名の範囲と極めてあいまいな供述しかしていないばかりか、原告が暴行を加えたときに、全くそのときの抗議行動に加わらなかった長船労組の書記長荒川澄及び右時点では未だ抗議行動に加わっていなかった同組員の溜渕信一、山口信昭も、その場にいたなどと虚偽の供述をしている。

4  懲戒手続の違法性について

本件懲戒処分理由の有無を審議した懲戒委員会は、次のとおり同委員会規定と運営慣行に違反して運営されたもので、その手続に重大な瑕疵があり、本件懲戒処分は無効である。

(一) 長崎造船所の懲戒委員会で、かつて労使委員の見解が対立したのは、第一にその量刑についての不一致、第二に当該行為が一般懲戒議案とみなすべきか、組合活動とみなすべきかの不一致の二点であって、就業規則所定の懲戒事由の存否そのものをめぐって対立を生じた例はまれであった。従来右の如き対立を招いた場合には、懲戒委員会に被申立人を出席させ弁明の機会を与え、被告の保安課が作成した調書や収集した証拠を委員会で点検吟味し、関係者の委員会での証言を求めるなどを行い、労使合同で事実調査を行ったうえで、真偽を明白にして結論を出すという運営がなされてきた。このことは、懲戒委員会規定が、同委員会の任務を事実を明らかにすることであると定め、さらに委員会で被申立人の弁明、関係者の証言、参考意見の陳述を求めることができる旨定めていることからも明らかである。

ところが、原告に対する懲戒処分につき審議した懲戒委員会においては、福田作業長の保安課に対する調書の一部と称するものが一方的に読み上げられただけで、被申立人である原告はもとより関係者の調査結果についてはことごとく隠匿されて懲戒委員には知らされず、組合側委員からの被申立人を委員会へ出席させて弁明の機会を与え、また関係者の証言を求めるという提案も一切拒否されて、結論が出されたものであった。

(二) 懲戒委員会で労使双方の委員が意見一致に至らなかったときには、意見が不一致であるというその結果を答申することになっているのに、懲戒委員会の加藤光一委員長は、意見が不一致にかかわらず、出勤停止三日(原案通り)と明記した処分案を答申した。

五  原告の反論に対する認否

原告の反論はすべて争う。

第三証拠(略)

理由

一  請求の原因1、2の各事実は当事者間に争いがない。

二  (書証・人証略)を総合すると、本件懲戒処分の理由とされた原告の福田作業長に対する暴行傷害行為があったとされた時点までの経過につき、次のとおり認められ、この認定に反する(書証・人証略)は措信し得ない。

1  第二機械課第二係の作業長であった福田博は、昭和四七年五月から六月にかけて、長船労組の組合員から就業時間中にかかってきた電話を組合用務ということで第二機械課所属の同組合員溜渕信一、同黒田徳一郎に取り次ぐように要請されたことが数回あった。しかし、福田作業長は、社内研修の際、組合活動は就業時間外にするべきであって、就業時間中の組合用務についての電話取り次ぎは緊急の場合以外は許すべきでないとの教育を受けていたため、右電話取り次ぎの要請を、時間外にするようにと言って断わっていた。

2  ところで、第二機械課の他の作業長は、右原則を厳格に運用することなく、就業時間中といえども組合用務についての電話取り次ぎを認めていたため、福田作業長の取扱いが、一人異なったものとなっていたところ、福田作業長の電話取り次ぎ拒否を問題視した長船労組は、六月八日執行委員会を開き、福田作業長に対し電話取り次ぎをさせるための抗議行動を行うことを決め、最初に同月一五日に抗議行動を起こすが、その方法については第二機械課が所属している長船労組飽の浦支部に任せることにした。そして同月一四日飽の浦支部の執行委員久保田達郎、原告、河本貞二、高比良宏、松尾敏之(昭和五一年堀田に改姓)が集まり、今までの福田作業長の電話取り次ぎ拒否の事情を検討し、同月一五日には右執行委員高比良、同松尾のほか第二機械課所属の長船労組員黒田徳一郎、第一機械課所属の同野田英彦計四名が抗議行動を行うことにした。

3  六月一五日午前一一時一〇分ころ野田から福田作業長を指名して電話があり、用件は言わないが黒田に取り次ぐようにとの要請が行われ、さらに同日午前一一時二〇分ころ松尾から組合用務ということで黒田に取り次ぐようにとの電話があったが、福田作業長は、いずれも取り次ぎを断わった。

同日午後零時一二、三分ころ、長崎造船所構内にある第一食堂から昼食を済ませて出てきた福田作業長は、高比良、松尾、黒田、野田から取り囲まれ、電話取り次ぎを断わったことに対する抗議を受けた。その後場所を安全保安課の会議室に移し、同課の職員であった富永及び福田作業長が長船労組員から抗議を受けていると聞いてかけつけた第二機械課第二係の作業長樫川勝美を同会議室から排除して、福田作業長に対し右黒田らが電話を取り次がない理由を言えと繰り返し抗議を続け、その間野田が会議室の入り口の扉の取っ手を握り、外からの進入を防いでいた。その後午後零時五〇分ころ杉山作業長が福田作業長に対し電話がかかっている旨告げに来たのを機会に、黒田が最後に、同作業長に対し「今後長船労組の電話を取り次がんときは組合活動の妨害とみなすやっけん、覚悟しとけ」と言って、同作業長への抗議をやめて解放した。

4  六月一五日夜、長船労組三役(執行委員長久保田、副委員長歳田忠顕、書記長荒川澄)、同組合飽の浦支部執行委員及び黒田が集まり、再度同月一六日の昼休みに第一食堂において飽の浦支部の組合員全員久保田、原告、河本、高比良、松尾、黒田、野田、中村博、溜渕信一、山口信昭、進藤成志、田浦幸勝、計一二名で抗議行動を行うことが決定され、右組合員らは、同日午後零時に食事をしないで第一食堂に集まるということが取り決められた。

5  六月一六日午前一〇時ころ、高比良から第二機械課第二係に電話がかかり、福田作業長がこれを受けて用件を質したところ、組合用件で黒田を呼び出してほしいとのことであったので、組合用件は時間外にするように応答していたとき、傍に来ていた黒田が突然同作業長の右手から受話器を引き取り高比良と通話を始め、これを終えてから黒田は、同作業長に対し、「なぜ電話の取り次ぎをしないのか、組合活動を妨害するのか」と激しく抗議をした。

6  六月一六日午後零時ころ前記長船労組飽の浦支部の組合員のうち、田浦を除く一一名が福田作業長に対する抗議行動に参加するため、第一食堂に集まった。一方福田作業長も午後零時すぎころ第一食堂に昼食を取りに行った。午後零時五分ころから第一食堂内で黒田が携帯マイクでもって定例の長船労組組合ニュースを流し始め、右組合ニュースが終った午後零時一〇分ころ「ただ今から福田作業長に対する抗議行動を行う。福田作業長は我々組合の電話取り次ぎを故意に妨害しているからである」と放送したのを合図に第一食堂配膳室前に集まった長船労組員らが、久保田委員長らを中心に、食事をしていた福田作業長のところに押しよせ、抗議行動を開始した。

三  次に、福田作業長に対する抗議行動の経過、特に右機会に同作業長に対し原告の暴行傷害行為があったか否かの点についての各証拠を検討してみる。

1  まず、(書証・人証略)によれば、長崎三菱病院医師井上正良は、昭和四七年六月一六日午後に、同日昼休み他人の膝で突かれ、左下腿部外側部分が痛いと訴えてきた福田作業長の診察を行ったが、右部分には腫脹はなかったが、少し赤みがさしており、ブロー水冷湿布の治療を行ったこと、同医師は、同月一九日再び福田作業長を診察したが、その際同作業長は同月一八日から左大腿部外側部分にも疼痛を覚えるようになり立っていると右部分及び左下腿部とも痛くなると訴え、左大腿部外側部分には皮下溢血斑と腫脹を認めたので、再度ブロー水冷湿布を施し、痛み止めとはれ止めの薬を出したこと、同医師は問診の結果、左大腿部外側部分の症状、今までの経験からして、右部分の傷も同月一六日に受傷したものであると判断して、同日左大腿、下腿部打撲症の外傷を受け、同月一九日から今後約五日間の通院治療を必要と認める旨の同月一九日付診断書を作成したこと、同作業長は同月二二日にも来診し、押さえるとジーンとした痛みがあると訴えたので、同医師は痛み止めの注射を射ち、前回と同様の薬を出したことが認められ、さらに前記左下腿部外側及び左大腿部外側部分の傷は固いものが当たったときにできる傷害ではなく、膝で突いたときにできるような傷害であったこと、右両部分の傷は膝を中心にした外側部分の上、下にあたるので、加害者が膝と下腿の外側で打った場合あるいは被害者が膝を曲げていたとき打った場合は、一度で受傷する可能性があること、皮下溢血斑は受傷して間もなく出てくる場合もあるし、受傷後何日かたったのちに初めて出てくる場合もあることが認められる。

2  ところで、被告の主張1の(四)ないし(七)の各事実にそう証拠としては、(書証・人証略)がある。

3  そこで、右各証拠の信用性につき、検討を加える。

(一)  原告が福田作業長に対し暴行を加えたとする(書証・人証略)は、前記1で認定した福田作業長が昭和四七年六月一六日左大腿、下腿部打撲症の傷害を受けたという事実に符合しているし、同作業長が原告から暴行を受けたとする時間に近接した同日午後四時ころに医師の診察、治療を受けていることは、右傷害が他の原因に基づくものではなく、原告の暴行によって生じた傷害であることを推認せしめるものである。

さらに、原告が福田作業長に対し暴行を加えた状況についての(人証略)は、テーブルに腰かけていた福田作業長と同作業長の右側にいた松尾(但し、樫川の各供述では長船労組員ということで名前は特定していない)との間で弁当箱のやり取りがあったのちに、原告が福田作業長を蹴ったという点、そのときすぐに福田作業長は左側を振り向き、そこにいた原告に対し「蹴ったろう」と言うと原告は「おう」というような表情をしたという点、福田作業長を蹴ることができる場所には原告しかいなかったという点で一致しており、右のうち弁当箱のやり取りがあったことはそのやり取りをした本人である松尾も証言しているところで真実であり、福田作業長に暴行を加えたのは原告であると特定する供述も極めて具体的、明確な供述であり、いずれもその状況を目撃していてはじめて供述し得る事柄であると言わなければならない。

(二)  (書証略)によれば、同人は六月一六日の抗議行動が終わったのち、長崎造船所保安課の職員や係長代行をしていた熊崎から目撃した状況を忘れないように書いていた方がよいと言われ、抗議行動があった一、二日後に目撃状況をメモしたことが認められ、(書証・人証略)は、記憶の薄れない状態で書いた右メモに基づくもので、かなり正確なものと思われる。

(三)  福田作業長が暴行を受けた態様、部位については、福田作業長の(書証略)の供述記載では左足の膝の上附近を右足の膝で強く一回蹴った、(書証略)の供述記載では左膝上か左膝附近を蹴り上げられた、証言では左膝外側の膝を中心にして上下の部分二カ所を一度に蹴られた、膝で突き上げられ膝とすねがあたったとあり、(書証略)の供述記載では右膝で左もも附近を一回蹴る、(書証略)の供述記載では原告の右膝が私の左足のももをさわるようにして福田作業長の膝のちょっと上の方を下からぐっと蹴り上げた、証言では原告の右膝が私の膝の上をかすめて私の目の前にモクッと浮き上がるのを見た、福田作業長のどこに当たったかは正確にはわからないが、同作業長は膝のちょっと上附近をさすっていたとあり、右各供述記載ないし証言には若干の食い違いが見られるし、前記1で認定した福田作業長が受けた傷害の部位とそごする供述も認められる。

しかしながら福田作業長の右各供述記載が蹴り上げられた部分を左膝上としているのは、右部分に痛みを感じて医師の治療を受けたのが、左下腿部に治療を受けたよりのちの六月一九日のことであり、同月二一日と同月二二日に行われた司法警察員の取調べの際には左膝上の傷害についての印象が深かったために右のような供述をするに至り、地労委においても右司法警察員に対する供述と同様の供述をしたためであると思われる。そして福田作業長の証言が従来の供述と食い違っているのは、同作業長の治療にあたった井上医師の尋問が施行され、カルテの取調べが行われたのちに同作業長の尋問が行われたので、客観的に明らかになった傷害の部位に添うように従来の供述を変更したためであると思われる。また原告がどの部分で暴行を加えたかの点については、福田作業長は直接目撃していない事柄であり、同作業長が受けた傷害の部位に従って推測で暴行の態様を供述するため、右供述が変更することは無理からぬところであり、右のような供述の変遷があることをもって、原告が福田作業長に対し暴行を加えたとする同作業長の供述まで信用性をなくさせるものではない。樫川の右各供述記載及び証言は、原告が右膝で福田作業長の左膝上を蹴ったとの点で一貫しているが、原告が福田作業長を蹴るという動作は一瞬のことであり、樫川が福田作業長の左膝上が蹴られるのだけを目撃し、右動作中の左下腿部については目撃し得なかったとしても不思議はなく、樫川の右各供述記載及び証言が福田作業長が実際に受けた傷害の部位と一部異なっている供述をしていることをもってこれらの各証拠が信用できないとすることはできない。

ところで、前記1で認定したところによれば、福田作業長の左大腿部の傷害については、六月一八日から痛み出し、同月一九日医師の治療を受け皮下溢血斑と腫脹が認められたものであるが、皮下溢血斑は受傷後何日かたったのちに初めて出てくる場合もあること、福田作業長の証言によれば、同作業長は原告から暴行を受けたのち、左大腿部を打ったりしたことはないことを考えると、右部分の傷害も同月一六日の原告の暴行の際受傷したものと認めるのが相当である。そして、左大腿部外側部分及び左下腿部外側部分に対し、一度の打撃で傷害を与えることは、同作業長が膝を曲げた状態で丸椅子に腰かけていた姿勢にあったことを鑑みると十分可能であると考えられ、このことは既に前記1で認定されているところである。

(四)  福田作業長が暴行を受けた時間については、(書証略)では午後零時二〇分ころ、(書証略)では午後零時三〇分前後ころ、(書証略)では抗議が始まり終了するまでの中間よりやや前ころとなっており、多少違いが見られるが、福田作業長及び樫川とも同作業長が暴行を受けた時間につき時計で確認したわけではなく、また長船労組員からの抗議行動を受けてかなり興奮状態にあったと思われ、時間についての供述の食い違いが生じるのはやむを得ないところであり、同人らの供述の信用性を減じるものではない。原告は、右両名の供述は、樫川に原告が福田作業長を蹴ったのを目撃させるためにことさら時間を遅らせたものであり、真実は福田作業長と松尾が弁当箱のやり取りを行い、同作業長がすわっていた椅子から立ち上がって抗議団が通路の方へ移動したのは抗議を始めた午後零時一〇分ころから二、三分後の極めて早い時間でそのころは未だ樫川は目撃していなかった旨主張するが、樫川が抗議行動の始まった早い段階からその状況を目撃しており、これを否定する(人証略)が措信できないことは後記(八)のとおりであり、また前記二、6で認定したとおり黒田が福田作業長に対する抗議行動を行う旨放送したのは午後零時一〇分ころであり、それから久保田をはじめとする長船労組員が福田作業長を取り囲み、その後(書証略)によれば、長船労組員が交互に福田作業長に対する抗議を行い、福田作業長は時間外にしてくれと応答し、同作業長と松尾との間でおかず入れのやり取りが何度か行われ、その後原告の福田作業長に対する抗議があったときに暴行が行われた事実を認めることができ、右経過からすれば、原告の福田作業長に対する暴行が行われたのは、(書証略)にあるように午後零時二〇分ころと認めるのが相当である。そもそも原告主張のごとく福田作業長及び樫川が原告の暴行があったという虚偽の供述をしているのであれば、ことさら暴行が行われた時間だけを遅らせる必要はなく、樫川が目撃できた時期に暴行が行われたようにするのが道理であって、原告の主張は、右のいずれの点においても採用し難いと言わねばならない。

(五)  原告が福田作業長に対し暴行を加える直前の発言について、(書証・人証略)では、原告が福田作業長に対し「造船所の中でお前一人取り次がんじゃっか、会社が取り次ぐなと言うたとなら自分達は会社に対して、所長に対して抗議するんだ、たかが末端の作業長ごたる平にいっちょ、いっちょうてあうもんか、のぼすんな」と言い、さらに何か言って蹴ったとあり、(書証略)では原告が何か言いながら蹴ったとあるものの、樫川が原告の発言として供述する右趣旨のことは、暴行を受けたのちに原告が発言したものであるとなっている。ところで原告本人尋問の結果によると、原告は福田作業長に対し、「だれの命令で取り次がないのかはっきりさせんかい、個人の意思であればそういうことはやめてほしい、上からの命令であればだれからの命令かを明らかにしてくれれば、あんた個人に対してではなく、当然会社の方に対する追求をやりますよ」という樫川が前記原告の発言として供述しているのとほぼ同趣旨のことを福田作業長がすわっているときにも、また立ち上がってからも言ったことが認められる。そうすると、証人樫川の証言及び右供述記載は暴行前の原告の発言を、福田作業長の右供述記載は暴行後の原告の発言をとらえて各供述しているものと認められる。

(六)  福田作業長に対し抗議をした長船労組員の人数、名前について、福田作業長の(書証略)の供述記載ではまず久保田、原告、松尾、高比良、野田、河本の六名が来て、その後黒田、溜渕が来た、(書証略)の供述記載では久保田、原告、黒田、溜渕、山口、荒川、進藤、松尾、高比良、野田、河本及び名前も顔も知らない者二、三名が来た、証言では久保田、原告、黒田、溜渕、山口、進藤、松尾、高比良、野田、河本ら一五、六名の長船労組員が来た、荒川はいなかった、そばに来たのは久保田、原告、黒田、河本、松尾で他の長船労組員はうしろの方で取り囲んでいたとあり、樫川の(書証略)の供述記載では福田作業長のところへ行ったとき同作業長を取り囲んでいたのは久保田、河本、原告、黒田、溜渕、高比良、野田だった、(書証略)の供述記載では一五、六名の者が福田作業長を取り囲んでいた、証言では一五、六名の者が福田作業長を取り囲んでいたが右一五、六名がすべて長船労組の人というわけでないとある。ところで(書証・人証略)によれば、福田作業長に対する抗議行動に参加したのは久保田、原告、河本、松尾、高比良、中村、野田、進藤、黒田、山口、溜渕、田浦の一二名で、荒川は右抗議行動に参加していなかったことが認められる。右参加者のうち福田作業長は荒川を除く一〇名の長船労組員について正しく供述しており、荒川についても(書証略)の供述記載では名前を上げてはおらず、また証言では(書証略)の供述記載を訂正して同人が参加していなかったことを確認している。樫川も参加者のうち七名の長船労組員について正しく供述しているし、同人及び福田作業長が抗議に参加した総人数を一五、六名としているのも、実際に参加した一二名と大差のない供述であるし、抗議行動を行っていた長船労組員の回りには他の労組員も取り囲んでいた状況を考えると、無理からぬところであり、かえって抗議行動を受けるという興奮状態にありながら、前記のとおり多数の参加者を正しく把握している福田作業長及び樫川の各供述は正確なものとして信用に値すると言わなければならない。なお、原告が暴行を加えたという時点には溜渕及び山口は未だ抗議行動に参加していなかったとの右両名の証言が信用できないのは、後記(八)のとおりである。

(七)  福田作業長がすわっていた椅子から立ち上がった状況については、同作業長の(書証略)の各供述記載では原告から蹴られたのを機会に椅子から立ち上がったとあるが、樫川の証言では福田作業長は原告から蹴られたのちも岡田が第一食堂に入ってくるまで椅子にすわっており、同人が来て同作業長を取り囲む長船労組員が手薄になってはじめて椅子から立ち上がったとあり、福田作業長及び樫川の供述は、この点において食い違いが見られる。

しかし、右両名が右のとおり食い違いを残したままで供述していることは、原告が主張するように右両名が共謀して原告の暴行の事実をでっち上げて供述しているのではないことの証左でもある。

(八)  (人証略)によると、樫川は黒田の抗議行動を始めるという放送があったのちも食事を続け、福田作業長がすわっている状態で抗議を受けているときには、未だ同作業長のそばには行っていないこととなり、右証言が正しいとすると樫川は原告の暴行についても目撃していないことになる。

しかしながら、前記一、4で認定したとおり、六月一五日夜に長船労組三役、同組飽の浦支部執行委員及び黒田が集まり開いた会合で、同月一六日昼休みに抗議行動を行うために組合員は同日午後零時に食事をしないで第一食堂に集まることが取り決められ((人証略)は右のとおり証言したあとで、食事をしないで集まるように決められたのは執行委員だけであると証言を変更しているが、同証人の供述態度からしてのちの証言は信用することができず、また右と同様の原告本人の供述部分も信用できない)、溜渕及び山口は福田作業長と同じ職場である第二機械課に所属し、右決定に従い抗議行動に参加すべき立場にあった者であるのに、右両名が通常どおり昼食を取り、さらには黒田の抗議行動を開始するという放送があったのちも、右放送が右両名に極めて近接した通路で行われ、黒田らが容易に右両名に対し抗議行動に参加するように促せる位置にいたのにかかわらず、なおも食事を続けこれを終えてから抗議行動に参加したとする両名の証言は甚だ疑問が多いところである。溜渕は食事をしていた理由につき福田作業長に対する抗議を長船支部の組合員がどのように見てるかということを把握するためであると証言しているが、溜渕が右のような特別の役割を負わされていたという証拠はなく、また食事を終えると長船支部の組合員の行動の把握をやめて抗議行動に参加したと証言していることからしても同人に右のような目的があったとは考えられない。山口は福田作業長と同じ工場に所属し野球部で親しくしていた関係上すぐには抗議行動に参加せず、伏目がちに食事を続けたこと、性格的にも周囲に気を配る方ではないことを証言しているが、それにもかかわらず食事を終えてうしろを振り向き溜渕が食事をしているのを見、弁当箱を食器入れに返しに行くとき再び溜渕を見て同人も食事を終えたことを確認し、さらに樫川がすわってまだ食事を取っていたことまで見たという山口の証言は、到底措信できるものではない。

これに対し樫川は、前記一、3で認定したとおり六月一五日に福田作業長が黒田らから抗議を受けた際にも、これを聞いて安全保安課の会議室にかけつけており、(書証略)によれば、同月一六日には同じ職場の作業長、副作業長らで食堂から帰るときは固まって帰り福田作業長を守ることを打ち合わせていたことが認められるのであって、黒田の福田作業長に対し抗議を行う旨の放送を聞いて、また長船労組員が同作業長をつるし上げると感じ、同作業長のところへすぐに行ったという樫川の証言及び各供述記載は十分信用できるものである。

(九)  (書証略)によれば、原告が福田作業長に対し暴行を加えたときの位置図として、福田作業長の司法警察員に対する昭和四七年六月二一日付供述調書に添付された図面と樫川の司法警察員に対する供述調書及び同人に対する審問調書に添付された図面があり、福田作業長が作成した図面と樫川が作成した図面との間には原告及び樫川の位置にやや違いが見られる。福田作業長作成の図面では、原告は、同作業長の左横に近接しているのではなく、左側に位置するもののやや離れた場所におり、樫川も福田作業長の左斜めうしろに近接しているのではなく、やや離れた通路のところに位置している。ところで(書証略)の福田作業長の供述記載では、右図面につき長船労組の久保田委員長ら六名が来て、その後黒田及び溜渕も近くに来たときの距離、位置関係について図面を作成したものであるとしている一方、原告から蹴られたときの現場の位置図でもあると説明しているが、同作業長の右供述記載によれば黒田、溜渕が来てから久保田らの同作業長に対する抗議があり、同作業長と松尾との間で弁当箱のやり取りをするなど時間的な経過があるので、人の動きもあるはずであり、右のうちどの段階での位置図なのか不明確な点を残している。しかし、右供述記載では原告から蹴られたとき原告は福田作業長の左側に立っていたとあるのに対し前記図面では原告は左側に位置するものの福田作業長を蹴るにはやや遠すぎる位置にいるのであるから、右図面は原告から蹴られたときの状態を書いたものではなく、黒田、溜渕が来たときの位置図を作成したものと解するのが合理的である。そうすると右図面と、福田作業長が原告から暴行を加えられたときの位置図である樫川作成の図面とは、原告及び樫川の位置が異なっていることは、十分説明がつくのであり、福田作業長及び樫川の各証言及び各供述記載の信用を低からしめるものではない。

ところが、樫川が作成した図面も、(書証略)に記載されている福田作業長がすわっている状態で抗議を受けていたときの位置図及び、(人証略)が各供述する原告の位置などとは大きく異なっている。

(人証略)は、(書証略)の作成経過につき、昭和四七年七月二六日原告に対し稲佐署から任意出頭するように呼出しが来て、同年八月四日出頭したところ、福田作業長から原告に対し暴力行為があったということで告発がなされており、右の点について取調べを受け、また被告の保安課が福田作業長や樫川を取調べ調書を作成しているとの情報が組合に入ったため、被告が暴力事件をでっち上げるのではないか、その際樫川が証人として出てくるのではないかと判断して、これに対抗するために同年六月一六日の抗議行動についての組合側の資料を収集しておこうと、同年八月七日に抗議行動に参加した組合員全員に集まってもらい、当時の状況を聴取して河本が報告書としてまとめた書面であり、右書面は組合に保存するために作成した旨供述しているが、一方(人証略)は、その後開かれた懲戒委員会で樫川が暴行事件の目撃者であるということを初めて知ったこと、(書証略)を懲戒委員会において組合側の反論として提出しなかったことを供述している。ところで(書証略)は、ことさら樫川が食事をしていた位置、山口、溜渕がそれを目撃していた位置を記入し、これに対し、樫川、岡田が福田作業長の近くに来た位置を記入していないなど、本件訴訟の争点に焦点を合わせた記載となっており、未だ樫川が目撃者であるとわからない時点で右書面を作成したとする(人証略)の供述は甚だ疑問が多いところである。原告本人は、右書面を作成する以前の昭和四七年七月末ころ樫川が職場において原告が福田作業長を蹴ったのを目撃した旨言っていたこと、また樫川が他の人に対し目撃者になってくれと働きかけをしていたことを供述するが、右の点について(書証略)を作成した河本は何ら証言していないところであり、信用することはできない。(書証略)の記載内容について見るに、山口及び溜渕が樫川の食事をしていた状況を目撃していたとの証言が措信し得ないことは前記(八)のとおりであり、また原告が福田作業長に対し暴行を加えた位置についても、前記(一)で認定したとおり、福田作業長及び樫川は原告が福田作業長の左横にいたという極めて具体的な供述をしており、これは動かしがたい事実であり、これらに反する内容の記載がある(書証略)は信用することができない。そして(人証略)も抗議行動の際の長船労組員の位置について(書証略)に添った供述をしているのであり、いずれも同様に信用できるものではないし、そもそも抗議行動に際しては福田作業長にのみ注意を払い、他の長船労組員の位置については格別注意を払わないと思われるのに、右各証人及び原告本人が抗議行動に参加した長船労組員の位置についてほぼ同様の供述をしているのは極めて不自然である。

4  以上検討したところによれば、(書証・人証略)には若干の食い違いが見られるものの、これが右両名の原告が六月一六日の抗議行動の際に福田作業長に対し暴行を加えたとする各供述の信用性をなからしめるものではなく、右内容の供述は十分信用できるものであり、これに反し暴行の事実を否定する(書証・人証略)は措信できない。

そして、前記1で認定した諸事実と右採用にかかる各証拠(但し、(書証略)中後記措信しない供述記載部分を除く)によると、次のとおり認めることができる。

(一)  福田作業長は、テーブルの通路寄り端で、机に向かって膝を九〇度位に曲げて丸椅子に腰かけて食事中であったが、抗議行動を開始した前記長船労組員らは、福田作業長の席に押し寄せ、同作業長の右横に松尾、右斜め後ろに野田、左横に原告、左斜め前方でテーブルの通路側端にそって手前から原告についで黒田、久保田、河本、その余の者はその後ろにそれぞれ立ち並んで福田作業長を取り囲み、まず久保田が「福田作業長に長船労組執行委員として抗議をする」と切り出し、以後久保田、黒田、原告らが交々携帯マイクを使うなどして、福田作業長に対し、「なぜ我々の組合活動を妨害するとか」等と電話の取り次ぎをしないことに抗議をし、この間に溜渕も抗議に加わり、福田作業長が「何も妨害しとらん、時間外にしてくれ」と繰り返し、食事を続けようとすると、松尾が「おれ達もまだ飯を食っとらん、お前も食べんでよか」と言いながら弁当箱、湯のみを幾度となく脇の方へ押しやって食事を妨害しているうち、同日午後零時二〇分ころに至り、原告が、「造船所の中でお前一人取り次がんじゃっか、会社が取り次ぐなと言ったとなら自分達は会社に対して、所長に対して抗議するんだ、たかが末端の作業長ごたる平にいっちょいっちょうてあうもんか、のぼすんな」等と言った後、右足膝でもって福田作業長の左膝附近を蹴り上げた。

(二)  そこで、福田作業長は、右暴行の瞬間は目撃できなかったが、当時原告以外に蹴ることの位置にいた者はいなかったので、蹴られたところを手でさすりながら、原告の顔を見上げて、「今蹴ったとは、あんただったね」と言うと、原告が「おう」というような返事をした。長船労組員らの福田作業長に対する抗議行動が始まったころ、第二機械課第二係の作業長である樫川作業長は、福田作業長を守り、救出するため長船労組員らの妨害を排して同作業長の後ろに迫り、抗議の状況を見守り、原告が右膝をもって福田作業長の左膝上を蹴り上げた瞬間を目撃した。

(三)  福田作業長は、原告から蹴られた直後、その痛みもあって立ち上がって食堂から出ようとテーブル傍の通路に出たものの、長船労組員らに取り囲まれ、行手を阻まれて進行することができず、原告、久保田、黒田らが交々に携帯マイクを使うなどして前同旨の発言を重ねて抗議を続けた。そのころ、長船支部の職場委員岡田明長が来て「この馬鹿どもにうてあうな」と大声で怒鳴ったので、原告が「そいつを打ったたけ」と言い、これを聞いて河本ら三、四人が岡田にとびかかり、福田作業長の囲みが手薄になったので、樫川が福田作業長を救出すべく肩を抱くようにして「今行こうで」と言って囲みの外に出たところが、すぐに久保田、高比良、原告らが追って来てもとの所に押し戻し、再び福田作業長を取り囲んで抗議を続けたが、同作業長は返事をしないでいた。

そして、同日午後零時四五分ころになって、久保田が「返事をしないということは今後取り次ぎをしないということだ、今後取り次ぎをしないということを確認する。今日はこれで終わるが、今後も抗議を続ける」等と宣言して解散した。

以上の事実を認めることができるが、被告の、福田作業長が外に逃れようとして少し踏み出したとき、原告が「まだ話が済んどらんじゃっか」と言いながら右手で福田作業長の左胸附近を突いたとの主張事実については、(書証略)中に右主張にそう供述記載があるけれども、これと矛盾抵触する(書証・人証略)があり、(書証略)中の福田作業長の右供述記載部分は措信することができず、他に右主張事実を認めるに足る証拠はない。

そうすると、被告が原告に対する懲戒処分の理由とした主要部分である原告が昭和四七年六月一六日福田作業長に対し蹴る暴行を加え全治五日間の負傷をさせた(証拠上正しくは通院治療約八日間の傷害である)事実を認めることができ、右事実は(書証略)によると長崎造船所就業規則第六五条一項六号に定める他人に暴行脅迫を加えたという懲戒解雇事由にあたり、被告が右事実を認定し同条一項但書を適用し、情状酌量の余地があるとして出勤停止三日間の処分に付したことは何ら違法の存するところではない。

四  (書証・人証略)を総合すると、本件懲戒処分をなした手続について次のとおり認められる。

1  長船労組と被告との間には労働協約が締結されておらず、懲戒手続に関する取り決めも存在していなかったが、昭和四七年一〇月ころ長崎造船所管理課の山口主任から長船労組書記長荒川澄に対し、福田作業長に対する暴行事件を理由に原告を懲戒処分にしたいとの申し入れがあったことを契機にして、被告と長船労組との間で懲戒手続に関し交渉がもたれ、当初被告は長船労組に対し懲戒説明会を開いて懲戒事由の説明を行う旨の提案を行ったが、長船労組はこの提案を拒否して、同年一一月二五日付で被告に対し、右懲戒事案を審議する場として懲戒委員会を設置すること、委員会は委員長一名、委員一〇名をもって構成し、委員の数は労使双方各五名とする他はその運営については被告の他労組である長船支部と同一の取り扱いとすることの提案を行い、被告はこれを受けて、昭和四八年一月末ころ委員を労使双方各四名とし、委員の定数以外については長崎造船所と長船支部で取り決めた懲戒委員会規定を準用して懲戒委員会を開くことで合意に達した。

2  右合意に基づき長崎造船所勤労部次長兼管理課長の加藤光一を委員長として昭和四八年二月一〇日から同年五月一六日まで五回にわたって懲戒委員会が開催され、事務局であった長崎造船所安全保安課から原告が福田作業長に対し暴行、脅迫を加えたことを理由に出勤停止三日間の懲戒処分に付する旨の議案の提案を受けて審理を行った。

3  右審理において組合側委員は、原告の福田作業長に対する暴行、脅迫の事実はないと主張し、加藤委員長に対し安全保安課が調べた関係者の氏名及び作成した調書の内容を明らかにし、懲戒委員会に原告を呼んで弁明の機会を与えると共に、関係者を呼び事実調査を行うべきであると提案したが、加藤委員長は福田作業長の調書の抜粋を朗読することを許可したものの、同人の調書を含めて関係者の調書を閲覧させ、安全保安課が調べた参考人の名前を明らかにすることは、秘密がもれ後日これらの人に対するつるし上げなど問題が生じる可能性もあり適当ではないとして拒否し、また懲戒委員会に原告及び参考人を呼び出し事実調査を行うことは前例がないとしてこれをも拒否した。そのような状態の中で、原告の福田作業長に対する暴行、脅迫行為があったとする被告側委員と右事実はないとする組合側委員とで議論が平行線をたどり、懲戒処分の程度についての議論は行われないままに昭和四八年五月一六日をもって懲戒委員会の審理が打ち切られた。その際組合側委員は、暴行、脅迫がないとの主張とともに、本件事案は組合活動であり団体交渉の過程で解決されるべきであること、懲戒委員会の審理の過程で安全保安課が作成した関係者の調書を閲覧させないのは不当であるとの意見を表明した。

4  加藤委員長は、昭和四八年八月四日長崎造船所所長に対し、懲戒委員会の審理の結果として、組合側委員は暴力行為の事実関係が明らかでないので処分反対と主張し、会社側委員は情況証拠から暴力行為があったことは事実であり、また脅迫により精神的に会社を休まざるを得ないように追い込まれたことも事実であると主張し、意見の一致を見なかったが、原案どおり原告が他人に暴行、脅迫を加えたとして出勤停止三日間の処分に付し、これを同月六日から同月八日までの間実施するように答申した。右答申を受けて同月四日長崎造船所所長の決済がなされ、原告に対する同月六日から同月八日までの出勤停止三日間の懲戒処分が実施された。

ところで、(書証略)によれば、懲戒委員会規定第二条には委員会は所長の諮問に応じ懲戒事項につき事実を明らかにし、適用条項及び処分方法を審議してその結果を答申し、もって懲戒処分の適正迅速を期することを目的とする、第五条には委員長は会務を総理し、委員は事案の調査並びに審議に任ずる、第一一条には委員会における審議上必要と認めたときは委員長は被申立人に弁明を、関係者(事業所の社員に限る)に証言または参考意見の陳述をさせることができると定められており、懲戒委員会及び委員の重要な役割が事案の調査にあることが認められる。しかるに前記認定のとおり、原告に対する懲戒処分についての懲戒委員会の審理過程において、組合側委員から事実の有無につき疑義が出されたにもかかわらず、安全保安課が作成した調書を閲覧させ、調べた関係者の氏名を公表し、あるいは懲戒委員会に原告及び関係者の出席を求めて事情聴取するなどの組合側委員の提案をいずれも拒否し、十分な事実調査を行わないまま審理を打ち切った懲戒委員会の運営方法は、同委員会規定に照らし不当なものであったと言わなければならない。また、(書証略)によれば懲戒委員会の委員長であった加藤光一は、長崎地方労働委員会の審問において、懲戒委員会において右のような事実調査をしなかった理由につき、事務局である安全保安課が事実調査を十分行っていること、被申立人を懲戒委員会に呼んで事情聴取しても事実を否定するに決まっていることを供述しているが、このような態度は懲戒委員会の委員長としてふさわしくないものであり、さらに同委員長は前記のとおり懲戒委員会においては意見の一致を見なかったにもかかわらず、原案どおり原告が他人に暴行、脅迫を加えたとして出勤停止三日間の処分に付する旨答申していることは、同委員会規定第二条の趣旨からして相当ではなかったと言わなければならない。

右のとおり懲戒委員会の運営方法及び同委員長の答申の仕方などにいささか不当な面があったことは否めないが、しかしながら一応懲戒委員会は開催されて五回の審理を行っていること、長崎造船所所長に対する答申も不十分ながらも組合側委員の意見と会社側委員の意見を併記し、両者の意見が一致しなかった点は記載していることからして、その不当性は著しいものではなく、これに加えて懲戒委員会が同委員会規定第二条によって明らかなように単なる所長の諮問機関にすぎず、懲戒権者は長崎造船所所長であることを鑑みると、前記に認定した不当性は未だ原告に対する懲戒処分の無効を来たすものではないと言わなければならない。

五  原告の福田作業長に対する暴行傷害行為が認められる本件において、原告に対する懲戒処分が不当労働行為で無効であるとの主張は理由がない。

六  以上によれば、本件懲戒処分が違法無効であることを前提にした原告の本訴請求は、いずれも理由がないのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 鐘尾彰文 裁判官 前田順司 裁判官 吉田京子)

目録

陳謝文

「会社は貴殿に対し、昭和四八年八月六日から同月八日までの間出勤停止三日の懲戒処分を行いました。しかしこの懲戒処分は事実無根のデッチ上げによって行った不法なものでありました。ついては会社はこの懲戒処分を取消すと共にこの間の賃金並びに金一〇万円の慰謝料を支払い、貴殿に深く陳謝の意を表明します。

三菱重工業株式会社

社長 守屋学治

同長崎造船所

所長 平田昇

草野光善殿

昭和 年 月 日」

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